楽器差別
今日は午後からレッスン。
先日本番を終えたばかりだが、来年行われる本番へ向けて早くも始動!
まだまだ時間はタップリあるから、じっくり取り組んでいこう!!
さて・・・
指導のために現場へ行くと、他の講師からいろんな言葉を聞くことがある。
今日耳にした言葉は・・・
「低音の奏者は、高音のソルフェージュに弱いんですかね?」
「金管奏者はそう考えるかもしれないけど、木管奏者は違う」
ハッキリ云って、これらは楽器差別だと云えるだろう。
自分は、確かにチューバ奏者ではあるが・・・
小学生の頃から数年間、フルートを習っていた。
高校生の頃には、ロックバンドでアルトサックスやエレキベースを担当していた。
大学の頃にはビッグバンドで、持ち替えでバリトンサックスを吹いていた。
野球応援でトランペットを吹いたこともあるし、アマチュアのビッグバンドにトロンボーンで参加したこともあるし・・・
そういう意味では、純粋なチューバ奏者とは少し感覚が違うかもしれない。
(そういう経験が、現在の作・編曲活動に役に立っていることは確かだ)
しかし、どの楽器を演奏していても、根本的なものは同じだと感じている。
(どの楽器を演奏しても、自分は自分だということでもあるが・・・)
そう思っているから、この楽器はこうだ、あの楽器はこうだという考え方は好きになれない。
ある吹奏楽部のホール練習で、ある木管楽器の講師が、
「金管ってのは、こういうフレーズが苦手なのかなぁ〜!?」
なんてことを自分に質問してきたことがあった。
(単純なフレーズなのに、明らかに嫌みタップリで・・・!)
自分に云わせれば、木管も金管も関係ない!
ある講習会の席では、
「この作曲家は金管のこと知らないねぇ〜。やっぱり木管の経験者だ!」
ハッキリ云ってそれは重要なことではない!
高音楽器の方が低音楽器よりもバテヤスイなんていうエゴな考え方も大嫌いだ。
この楽器の方が、あの楽器よりも難しいなんていう考え方は論外だ。
確かに、ある意味自分は広く浅くの器用貧乏かもしれない。
スペシャリストとしての意見というものも当然あるだろう。
スペシャリストの意見として納得出来るものも当然あるが・・・
確かに、それぞれの楽器の機能性というものはあるから、あまりに度を超えたフレーズや、演奏困難だったり存在しない音域を書いているような曲だったら、非難されてしかるべしだろう。
それほどでもないものを、あれこれ難癖つけるようなプレイヤーの意見というのは、ハッキリ云って言い訳をしているようにしか聞こえない。
どの楽器の演奏も、根本は同じだと思う。
歌うことが好きな人だったら、歌うように演奏出来たなら、それが1番だ。
(当然鍵盤楽器だって、打楽器だって!)
そうするためにはどうしたらいいか、どういった練習・訓練が必要なのか・・・
そういう所にこそ、スペシャリストとしての意見を活かすべきではないだろうか?
今日の晩飯は・・・
豆腐にカキに、きんぴらごぼう等々!
健康的な食事だね。
だけど、十分!
とても美味くて、腹一杯です!
by adacha | 2009-11-11 18:48 | 吹奏楽 | Comments(0)